野鍛治
晴れ
京都からおばさんたちが
ばあちゃんのお見舞いに来た
今日はばあちゃんのお世話で訓練を朝からお休み
昨日は、いいなと思っていた求人の
ホームページを見てたら、(野鍛治)
歴史ある鍛冶屋さんで
そういえば、じいちゃんの父親の弟も鍛治職人で、父親も鍛治職人で、昔は刀を作っていたんだけど、刀時代が終わって包丁とか農具を作るようになったって言ってたなぁ
と、インターネットを調べてたら
いろいろと発見があった。
重廣がじいちゃんの父親の弟の職人名?で
師匠となる人が重房というみたい
五本の指に入っていたそうな
昼間は日が昇って暑くなるから
朝早くから作業をしていたそうで
小学生が朝から学校行く前に見に来てたそうな
重廣さんが正月になると包丁を持ってきていた
とかじいさんが言っていた
どこかに包丁がまだあるそうなんだけど、
どこにあるか分からないらしい
お目にかかれたらな、と思うけど〜(いつになることやら、しかもあるか定かではない笑)
会津の鍛冶屋さんについてまとめられた方がいらっしゃって、参考にしました。
東日本の一大産地だった会津ですが
なぜ新潟の燕三条などなように
広がらなかったのか、やめる職人が多かったのか?
著者の方は疑問視されていますが
私も気になります。
私も鍛治職人に興味があるので、会津の鍛治が盛り上がればと願っています。
職人は憧れますね。
ばあちゃんのお世話が続けられる
職場・・・と思って地元で探しているので
いいとこが見つかればと思います。
そういえば、今日でばあちゃんが施設から戻って一年になります。
私もばあちゃんのお世話一年になった〜
数ヶ月は大変な思いの方が多かったけど、今は住み慣れた家で、みんなと過ごしてるし、ご飯も自分で作るより美味しいし、支えられて、ばあちゃんのお世話ができてるなと感じてます。
ばあちゃんと一緒に過ごす、という選択は、自然に自分の中にできました。
東北の被災地を仲間と、尊敬する先輩と、追体験させていただいた経験とか
育ててくれた先輩と過ごしてきたからこそ、
見る世界が変わって自分の選択肢が増えたのかなと振り返って思います。
誰と過ごすことも自由で、当たり前だと
改めて思います。
おわり