mitsukoの日記

ばあちゃんに会いたい

難しい。

晴れ

 

 

 

 

今日は30度超えてたみたい

汗かいた

 

ばあちゃんが施設に入るのか・・・

と考えてたりした

寂しくなるなとか

かわいいおばあだから

離れがたいけど・・・

自分が巣立つくらいの気持ちで割り切るしかないかな・・・。

じぶんがお世話する、死ぬまで、

と決めてたけど一年で施設にまた入れるって自分勝手で振り回してごめんなさいという気持ち

まだ一緒にいれる時間があるけど

くよくよしてても仕方ないから

バイト明日最後頑張ろう

 

そのあと来週の金曜日に面接あって

決まれば鍛冶職人として働ける

長く続けたいな

ばあちゃん忘れてしまうかも知れん

でも子どもは親の事をずっと考えているのは

子どもとしては子どものままなんだよね

なんか記事に書いてあったのみたけど

巣立つ自立するってことで

親のことは考えなくなるんだよね

一日中とか

そうやってこれから一人暮らししないといけないときにポジティブに思おうかなーと。

ばあちゃんは親ではないけど

たまに施設に行って会いに行けるかな

施設に行って変わった姿を見るのが辛いんだよな、今から想像して

 

前に施設に入ったら結構大人数のところで話し相手もあんまりいないし認知症が進んで髪の毛も伸びて水虫も放置で爪が変形してて

顔が死んでた

これじゃいかんと思ったけど接し方が分からなかった

あまり会ってなかったしばあちゃんと

 

でも尊敬してる人が亡くなってから

もうすぐ死を迎えるであろう人とかに対する

抵抗感みたいなのが無くなった

だからばあちゃんと住むことは当たり前のように感じられた

人それぞれ選択は違うけど、それはそれでいいし、いろんな選択から選んだことが、それでいいって

一人暮らしでもいい

ばあちゃんと住んでもいい

実家暮らしでもいい

 

 

尊敬している方が亡くなってから

一人ぼっちをなくすことも

考えた

ばあちゃんは二年間知らない人と施設で暮らした

一人ぼっちではないかもしれないけど

なんか一人ぼっち感があったから

あるかもしれないと感じたから

ばあちゃんのお世話をしないとわたしは幸せになれないとさえ思えたから

このまま生活して得ていく幸せのことよりも

ばあちゃんと暮らさないと幸せになれないと感じたから

あまり深く考えるとこんがらがるから

シンプルにばあちゃんと住んでも当たり前っていう感覚でいられたからこうなってた

 

 

 

あー、わたしはばあちゃんを看取りたかったんだ

 

終末期医療に関わるクリニックにお手伝いに行ったとき、あるおじいちゃんの家に行った。その方は胃がんで末期だった。みんながおじいちゃんの頼みを聞くためにお部屋の片付けをしに。

たくさんの荷物やゴミもあって2日に分けてみんなで片付けて、たくさんのテープも出てきて、懐かしんでたっけ。

そのおじいちゃんに忘年会に誘われたから友だちに手伝ってもらって横断幕を手作りで作っていた。その日連絡が入って、亡くなったと知らされた。まさに横断幕を作っているときだった。

寂しくないように、クリニックの人も家にいったし、区長さんもいた。手を握って看取った。

 

 

おじいちゃんに、教えてもらったし

経験できたことで、自分のばあちゃんも

介護される権利、それが当たり前なんだって思えた。

 

 

 

だから書いてて、また二人暮らしできないかな、と思えてきた。

父親とは関わりたくないから

どうしようかとおもったけど

自分一人でデイサービスやショートステイの送り迎えは出来ないし、(仕事上時間の関係で迎えにきてもらう時間に仕事行ってるから)

訪問看護で手伝ってもらうしかないかなぁ。

 

 

介護保険の上限こすと

実費負担で高くなるからどうしたらいいのやら

 

 

 

もうちょっと時間あるから

ばあちゃんと住めるところとか検討しようかな

 

もう施設に入れるとか決めたのに

やっぱり考えちゃうね

 

おわり