mitsukoの日記

ばあちゃんに会いたい

人生とやらは

はれ

 

 

 

 

頭の後ろの右っ側がなんだか違和感

重い?というのかな、この違和感がツボ押しして緩和されるかもみたいな感じでついつい触ったり押したりする。

 

へんな腫瘍とかできてないといいけど

前に偏頭痛がひどくて

脳神経外科に行った時はCT?の予約だけしかしなかった

それ以来行ってないのを思い出した

またCTの予約だけだろうな、行っても。

でもいまは違う症状で行った方がいいかな、一瞬思ったり・・・

むしろ、九月一日から全く、頭痛がない

 

頭がなんだか痛くなる手前かも・・・みたいな頭の重さみたいなモワンとした感覚があったりはしたけど

ガンガン痛んだり薬飲んだりということがなかった。

 

ノンストレス万歳

いやストレスは確かにあるけど

かかるストレスが大幅に減っている

車を手放して返す必要のある金のために毎月返済していたのが無くなった、というのもあるだろう(まぁ九月よりだいぶ前だけど)

借金も返したし

今月や来月の返す金のために頭が痛くなる率が高くなるというリスクも無くなっているし

金は病気だな・・・。

無い方がいいのに、あったほうが、いいなんて。

なんて世の中だ

 

働かない方がいいのに、働いた方がいい、なんて。

なんて世ぞ。

 

地球は大丈夫なんだろうか。

いや、大丈夫じゃない

みんなどこかしら穴が空いているみたい

 

 

お金を生み出すってのはなんたって

信用な気がしなくもない

経済は流れだって言ってたよTwitter

心地よい流れなんだと

 

今日は一日まぁ、頭の右っかわが

違和感の一日だったかな

 

一昨日の夜はゲームを3時くらいまで

やってしまったからかな

 

でもそれに限らず

いろんな日に起こる

 

長年の蓄積か?

 

 

 

わたしはいろんなことに関心はあるのだけど

なにか手助けしたいとはいえ

力のなさがなんとも脱力だ

 

金が無ければ

徒歩や自転車になる

体力もいる

手助けというのは時間がかかり金もかかる

時間は金でもある

時間をかけて仕事した分の金がもらえるわけだ

だから手助けは時間もかかるし金もかかる

これは金のない人にはハードルが高いようにみえる

だから金のかからない時間のかからない手助けというものが何かを知ることが大事だ

 

いやまぁ、手助けは出来ない

お手伝いだね

 

助けることはできない

 

しかも相手の良さが分かるけど

同時に自分の悪さも知ってしまったりするのだから

 

学ぼうとしないと

返って恥ずかしいという気持ちがして

続かなくなる

 

わたしはいろんな人と

繋がってないから

フォローしてもらえない

だから失敗しても

立ち直りづらい

海底に沈んだまま

たまたま光を見つけるように漂っているし

コンクリートで覆われた地面の深くで

たまたま隙間を見つけられたらいいと思っているし

 

カフカ当てもなく頭痛く

本を読み続けている

このまま死んでもさして悪くない

良くもない

底辺になりきれない底辺ではないギリギリでテントを張っている人なのかも

まったく、なにがしたいんだ

なんでいるんだ?

こんな失礼な質問を書いて自分を困らせているアホなこったァ。

 

 

海外にワーホリでもいこうかな、と思うけど

宮本常一の、民俗のふるさと

ちょいと読み始めた

最初にメモしたのは

渡り者

笑。

職場や住所を転々として変わっていく者

 

鳥だったら渡り鳥かもしれない

 

そんな綺麗な感じもしないけど

 

でもわたしに合ってるかもと思ったのかな

この生き方みたいなやつ。

長くは続けられない

長くも生きられないかもしれないけど

社会に適合できない

無理矢理やれば適合できるんだろうけど

だれが無理矢理適合させるんだ?

自分でもできやしない

自分で責任持って自分を無理矢理適合させるなんてできないんだ

 

私が私の体を

私の魂で

適合させるなんて

出来ないんだ

 

いやだからこの世で生きていくってのは出来ないのか?

息はできる無料だから

あとは全部金かかる

なんて世だなんて世だ

 

なんの芸もないってのよ

 

なにもねぇってのは金にならねぇ

 

なにもねぇってのが金になるのか?

 

亡くなったじいさんが子どもの頃にいたポナペ島に行きたい

 

 

あぁ、なんかわかったかも

また私ったら。。。

構造を理解していなかったがために・・・

エイミー・ワインハウスのドキュメンタリーを観た

彼女のアルバム欲しいと思った

だけどその欲しいという動きが、彼女をパパラッチしてた群と観客と同じ心理に加担する気持ちがした

彼女は音楽をただ愛していたのに

音楽を許した社会はそうではなかった

社会の構造は売れるにつれ有名になるにつれパパラッチと共にあったし

有名さは追い詰めた理由になる

有名になることなど望んでいなかったこの社会構造では

わたしは単純にこの構造の中に落とし込まれた彼女の葛藤を描いたドキュメンタリーをみてアルバムが欲しいという思いになった、それは彼女に共感してその葛藤は素晴らしいと感じた、しかし彼女はもうこの世にいない、私の中にはいないと思いいるとは思いもしなかったパパラッチ魂みたいなのが

そういうことかと思った

私はこの先彼女のアルバムを買ったとて、どうして思いながら聴くことができようか

でも彼女のひととなりを1ミリ知ったのだから彼女のことをもっと知りたいという思いの代わりとして買おうかなと言い訳をする

 

おわり

わたしでもよくわからないのだ