mitsukoの日記

ばあちゃんに会いたい

本読めるように

晴れ

 

 

 

 

 

晴れてたけど外で何するでもなくいつも通り部屋篭り

 

カーテンを閉めて暗くしてハリーポッターの続きを観た

 

死の秘宝1・2を観終えて全部シリーズが終わった

 

観ず嫌いみたいな感じで観てなかったけど面白かったかなと

 

CGってなんかどうせ実在しないし撮影現場でないところを演技で演じているんだよな、そういうのを想像したりよくする

 

入り込めないというか世界を目の前にしてその幻想に堰き止められる

 

どうせフィクションどうせCGという想像に堰き止められる

 

CGを作り上げた苦労はいかばかりだろうとか思ったり

 

チコちゃんでよくよくCGの人が大変だからとかいう話をするから思い出してしまう

 

CG作ってる人大変なんだよなとか

 

でも仕事でやってんだからとなんか知らないけど自分の中で誰かが宥めるというか

 

だからうまいことストーリーに入っていけないかなと思ったけど

 

いやそれ以上になんか小物とか建物とかが魅力的すぎて

 

見入ってまう

 

だから入り込めた

 

これはCGじゃないなとか

 

魔法薬学とか面白すぎ

 

それで死んだじいちゃんが若い頃に奈良で薬売りしてたんだよなと思い出して

 

そう、配置薬

 

私は配置薬が嫌いで・・・営業に来る人が苦手だし全ての営業というのが苦手で

お金も絡むし家に来るし売りにくるし

私もクレジットカードの入会促進やってたけど商品に自信があったって

成績1位になったって何故か罪悪感の方があとから来て嬉しくなかったんだだから

営業が苦手なのかもしれない

そういうの得意な人や向いている人がやる方がいい、自分向いてないと思った

 

でも配置役じゃなくて漢方とか

そいういう体に良さそうなものとか

ハリポタで出てくる調合したり本引っ張り出して

作ったりするのとか

戸棚や引き出しにみっちり薬が瓶に入ってるのが置いてあったり

なんか引き込まれる

そういうのに

鍛冶屋さんの道具とかもかっこいいけど

薬草を作る作業部屋とかもよくて

千と千尋のカマじいみたいな

 

 

それで薬草の教科書とかで学んでみようかなと思って

調べたらあった薬学部の人も使うし一般の人も使えるよっていう本が

楽しそうだなあ

でも自分の性格からして飽きやすいから

買っても読まないとかありそうだしな、とか

今お金ないし無理かな

仕事もないしな・・・清掃の仕事復活してくれ

goto無くなってホテルの予約無くなって清掃の仕事も無くなる

コロナは増える

ウイルスって人間全員かかるまで終わらないよね・・・

免疫できてもまたかかる場合あるかもだけど変異するから

それか人間が全滅とかしないとウイルスの生きる場所が無くなるか免疫を手にするか・・・

だからこれは極端な話だけど

そういうことだよね

じゃなかったら免疫を手に入れるまで抑制させるかだけど

抑制も大事だけどかかったらってのも大事だよね

抑制って病院の数とかベット数とかに関係あると思うけど

バランス取れるような感染者数に抑えないと手当てできないよってことだよね

かかるのは致し方ないのだ・・・それは権力者側からではなくて市民の立場だけど

権力者はウイルスを抑えるために命を守るために手を尽くさないといけないよね立場的にでも逆をやっちゃダメだよね経済経済って

長い戦いになるってこれでわかると思うんだけど

手を尽くして補償もしっかりして命とウイルスと対策取らないとだよねまぁ1年経って今更その話かい、とかまた同じこと言ってる、とかもあるよね

ウイルス対策は科学的な根拠に基づいてやることだよね

いろんなデータが世界中に上がってるけどそのデータを読み解いて対策を立てる

あと説明ちゃんと明白にやらないとダメだね・・・・

今の総理大臣じゃダメだ前もダメだったけど今も変わらずいやもっと酷さが早待ってる気がする・・・

 

 

 

あぁ爪きんないと

ウクレレやるときに弦が抑えづらくなるから

 

そういえばばあちゃんのお世話することなくなってから

手が荒れてないまだ

お湯使ってた時は手の甲がよくひび入った

だけどそれがないなってふと

ばあちゃんに会いたいなぁ

会うだけじゃなくて一緒に住みたいなぁ

いないことが部屋に入ってなお身にしみる

 

 

 

そういえば木の板を100均から買ってきていたのを思い出して

引き出しを作るためだったな

 

引き出し用の木の箱も買ったんだ

だけど木の板と引き出しの箱でどんなものを作るのか思い出せない

 

そうか、あの時は躁鬱で言うところの躁だったのかなとか

 

行動する時はすごい行動するパワーが押し寄せる

だから北海道もフェリーで車と一緒に行ったし

沖縄もギター持って行ったし

なんなんだろう

人生の躁の時だったのかなとか思うのだが・・・・・

 

わからん考えても納得するわけじゃなし

しかもそれがなんの意味があって得すると言うのかね

自分を知ることになるのか?

とはいえ躁鬱だと医者に言われたわけでもないのだ

言うならば抑うつ自律神経失調症

それもよくわからない得体の知れないものだ

自分がそうだという自覚も微妙なんだ

だからよくわからない

福島に住んでるとか出身、という自覚はあるけど

抑うつとか自律神経失調症だという自覚ってないし

どうやったら持てるのか?

自覚してないと対処のしようがない気がするんだ

でも薬は飲んでた

もう治ったからか?

 

認知症になる前に自分で意志がある前に準備しといたというツイート、ではないけども・・・

 

何か自覚なくなる前にやっといた方がいいのか・・・

 

いやまた抑うつとかってぶり返したりしそうだし

 

そもそも治ってるのかもわからないし薬飲むのやめて1年くらい経つかな

 

自ら薬やめちゃったし

 

医者は変わって抑うつがどうなったとかは特に聞かないし

 

抑うつ認知症のように自分が認知症になってたとしても認知症だと自覚できないというところにあるのなら

抑うつ

そうなんじゃないかと

抑うつだったとしても自分では自覚できないんじゃないかと

でも認知症の特徴としての自覚なんだったら

抑うつには当てはまらないかも知れないけどさ

でも抑うつになったらされるがままとか流れるままとかになるよね全てやりたくないんだもの

億劫だし医者に行くのも面倒でどうやって家から出ろというのだ・・・

生きる屍とはまさにこのことかと・・・

 

しかも働いてるわけじゃないからお金は減る一方医者に行くのも憚られるキツくてしんどすぎる

頼みの綱にも行きたくても行けない・・・

頭の中はぐるぐる常にそういうことを考えてその先は爆発する

頭の中で爆発する

体は動けないから頭の中で大爆発

だけど導火線が長くてかなりしんどいんだ

どうしようもないほどのどうしようもなくて行き着く先が考えつかれて叫ぶんだでもやっぱり何も変わらず苦しいまま

何もないのだ何も

 

 

 

 

亡くなった尊敬する方の手がかりを読んで

何か分かるかもと

探している

できない日もあるけど

焦ってはいない

焦ってるんじゃなくて

無力で自分に諦めていて力が入らないのだ

でもたまにそういう時が訪れるので

手がかりの本を読んだりしている

分りたいというのが大きいのだ

何を思っていたのか

 

もしかしたらこれだけで生きているのかも知れない

 

おわり