mitsukoの日記

ばあちゃんに会いたい

さいはて

晴れ

 

 

 

 

 

だいぶ雪が溶けたみたい

 

外見てないけど日中晴れてて

 

屋根の雪が溶けてぽたぽた屋根にぶつかる音がしてた

 

 

ウクレレ久しぶりに弾いた

 

楽しかった

 

もっと上手くなりたい

 

もっと弾きたい

 

もっといいウクレレで弾きたい

 

 

さっき父親の発言に震えている

怒っている

心の中で

傲慢だなと思ったから

 

それがどうした、だ。

 

世界何位なんて関係ないのだ。

 

宗教のいかんで人間の優劣なんて無いのだ。

 

そんな考え自体が古いのだ。

 

別に世界で一番大きかろうと、一番小さかろうと、本当の教えと行動に背かないことが大切なんだ

世界で一番の宗教になるとかそういうのが目的じゃ無いだろうに

なに自慢げに言ってるのだか。

 

困ってる人を助けたり、人の役に立とうと行動したり、社会の片隅で動けない人に寄り添う、声にならない声を聞く、これこそ大切な精神じゃ無いのか

 

大勢だろうと、たった1人になろうと、宗教は自分が保っていかなきゃならない

 

そこで自慢するのは傲慢だと思う

 

地球の反対側まで届くのは

世界一の宗教だという傲慢さじゃなくて

ボランティアなんじゃないの

 

困ってる人のために働くことじゃ無いの

 

自分の中で一番だと思っているのは、いいと思う、それは自負しているということだ

 

でも本当の誇りは戦争に反対する行動を起こしたことや、それを貫いたこと

貧乏人と病人の集まりと言われたこと、その裏には実際に地域を支えて寄り添う行動があったこと

 

だからボランティアしてかなきゃならないんだと思う

 

ボランティアって上から目線の言葉であんまり好きじゃ無いけど

 

上から引っ張ることじゃなくて

下から支えるってことしてかないと

 

いつでも現場、ボランティアにいないと

傲慢になって組織なんてすぐになくなる

 

 

この宗教がこうだからこうなったとか、

すごいとか、

スピリチュアルなことや魔法の類では無いんだから

元々の教えを学んでいかないと

見抜けない

 

考え自体が古いというと語弊かもしれないけど

そういうこと言うのやめませんか、と

 

周りの人からそう言われるのはありがたいけど

自分で言うことでは無いんだから

 

誇らしいならば、その誇らしい行動を、話せばいいだけなのだ

その方がよっぽど大事だし、いいことだと思う

 

人間として生まれてきて、戦争に反対して行動しそれを貫いて暴力にも屈しなかった

信仰に背かなかった、権力に屈しなかった、

社会の片隅で生きる人に寄り添った、

こういう行動をした人がいた、これってすごいよね、って言えばいいのだ

具体的にはなせばいいのだ

 

 

薄っぺらく世界で活躍してるから、なんてこと、言うもんじゃない

まだ、分かってないんだろうなと思う

気づいてないんだろうなと思う

いつ分かるんだろう

 

 

とこんなことを心の中でぐじゃぐじゃと思っていたのだが実際に言えないし言いたくないしモヤモヤしたけど

親の世代でこういう考えが圧倒的多数なんじゃないかと思うと私らの世代でもう大変過ぎると思えてきて死にたくなる

生きてる意味なんて無いみたいな無力感に侵されて脱力感が起こる

 

 

なんか教えられたことそのまま受け止めてるのだろうけど

時代は変わるし今までやってきた事とか通過儀礼だし古くなってるという見方が必要なんだけど、古さとかも気付いてなくて

どうしたらいいのか分からない

脱構築わたしにはどうしていいのかわからない

今の自分はできない

やりたくないだけなのか

考えたく無いだけなのか

めんどうなのか

全部当てはまってる気もするんだけど

もう心が狭く押し詰められてる感じがする

身動きも出来ない気力がない心が疲弊

 

 

 

結局私の言い訳なのか

なんなのか分からない

 

怒りの収まるのを待つしかないただただ

 

おわり