mitsukoの日記

ばあちゃんに会いたい

どどど

はれ

 

 

 

 

 

午前はパスポート受け取りへ

無事もらえた

三十までにワーホリいかるかね

ばあちゃんのこともあるしお金もないし今のところは予定もないけど

お金あったら行ってみたい

悩むだろうなぁ

 

とりあえずは日雇いのバイトまた始めるかな

前は山形、宮城、福島、新潟と日雇いで行っていた

いろんな職種やった

 

山形はゼリー工場

そこでは一人ぼっちでお昼を片隅で落胆しながら食べてたら、東南アジア系の出稼ぎであろう若い女性が一人で斜め向かいに座って

挨拶してきた

わたし驚いたけど挨拶して

言葉は交わさずに彼女は電話し始めた

私がひとりで寂しそうにしている者だから、来てくれたんだろう

いつもは多分他の人と食べてるんだろうけど

まったく自然に、でも気にかけてるよっていう感じで、私はすぐにそうだと分かったけど、特に話して気まずくなるとか居心地が悪くなるとかそんな心配もなく、彼女は居てくれた

それはとても心に残っている

優しいなぁと

泣きそうになったけど

日本人のお姉さんも指導係みたいな感じでむちゃくちゃ優しくしてくれた

 

あと道の駅みたいなところのフードコート、そこも手伝った

店長のおっちゃんと二人でやったかな、楽しかったし優しかった

そこはごはんくれたかな、おみやげかな、なんか嬉しかった

 

あと結婚式場とか

そこはすごいイカツイにいちゃんに舌打ちされて、使えねぇな、って吐き捨てられた笑

教えられてねぇよと思ったけど式でそんなこと言えないからね、言わないけど笑

今まで言われたことないけど結婚式場で働く人でそんなこと言う人もいるんだなと衝撃だった

 

旅館の宴会場の配膳下げ膳とかもあった

おかみさんがくそ厳しい人で

むちゃくちゃ嫌みったらしい人だったのは覚えてるな

 

米沢の峠の道の駅みたいなところで

玉こんにゃく買って食べるのが好きだったな

しかしあの米沢の峠は夜は真っ暗で鬱蒼としてて車のライトしかないこわいところだ

なんでか分からないけど平気なのだが

確かにこわい

 

工場で加湿器のパーツの検査もやった

 

 

宮城は

葬祭関連のとこで

あのときは、ウイスキー工場へ行って

会議したみたいなところでお食事の準備だった

トラックの運転席と助手先の間に挟まってたけど隣の二人とはほとんど喋らなかった

運転の人はコワモテでがらはよくなかった笑

 

宮城は意外とそこだけかなぁ

 

 

福島は

弁当工場行って

ベーコンをひたすら並べたりしたし

 

引越しの手伝いもして

マンションの3階くらいからエレベーターで荷物トラックに積んでまた引越し先へ降ろして

 

ダーツのイベントでジュースの販売したり

 

温泉の食堂で配膳したり

この時の給料の袋の名前が

面白いように間違ってて爆笑した笑笑

 

スーパーで試飲の人もやった笑

そのときはゼロコーラかな

トクホのゼロコーラ

めちゃくちゃ売り捌いた

昔クレジットカードの入会促進もやってたけど、やりすぎてエリア一位になって、悩んで退職した。

なんか販売ってやればやるほど売れるけど、私これやりたくない、、、ってなるんだよな、なんか無理矢理売らせてたら申し訳ないって後から気になりすぎてストレスになるから、もう接客販売無理だーって

無理矢理押し付けて売ってるわけではないんだ、お客さんとお話ししてじゃあ買おうかな、とかになるんだけど、どうしても私はお客さんの心の中は断り切れなくて買ってしまったと思ってたらどうしようとか、後になって自分を追い詰めてしまうんだな、なぜか笑

生きづらいね〜

 

あとスポーツ用品の会社のくそでかい倉庫で商品の整理とかやったなぁ

たしかあれは商品の整理だったかな

 

工場で鏡とか磨く研磨のお掃除道具も作りまくったし

 

 

新潟は

 

野菜市場で箱詰め作業

これ楽しかった〜

もくもくとやる感じで

 

イオンの中で唐揚げだったかな、売りまくったし

おっちゃんがいい人でからあげくれたし

 

北海道コーナーでもなんかいろいろ物産品売ったし

 

旅館で配膳やったし

優しい人たちで茶碗蒸しを6個も帰りに出されて食べまくったし笑

 

新潟のひとたち最高優しい

 

いろんなことやったなぁ笑。

 

 

冬は寒くて苦手だから

なかなか動けないけど

それ以外はこうやって渡者として生きていくしかないのかなぁ

というかこれがいいのかな、いいのかも

 

 

 

沖縄でまたリゾバもいいけど

人間相手は疲れるしなぁ

その気が起きないとだめだなぁ

 

体育大でしごかれてきたけど

教員免許取ったけど

アルバイト掛け持ちして卒業したけど

いろんな仕事経験したけど

でもダメなんだなぁ〜

心は弱いままだし

イキがって強く見せてただけだね

大学別に行かなくても出来る仕事しか今までやってきてないしね

完璧主義なのかこれでは子どもたちの成長に良くないと思って生きてきたからもう無理なのよ

一緒に成長していこうっていう気概もなにもないのよ

結局何だったんでしょう

社会経験してから教員なんて相当

子どもが好きで情熱あります人間も出来てますみたいな人じゃないと無理なんだわと。あきらめ。もうすぐ十年経つし。

一年間も働き続けられなくなったかもしれないし。

自信ねぇしなぁ〜

 

 

北海道でリゾバやってたときは

ホテルでドアマン。

玄関でスカートにタイツにパンプス、最低気温マイナス14度

坂道や階段でもお客様のお荷物を持ちご案内する、

いつか滑って頭打って死ぬかもと思ってた笑

その時に出会ったおばちゃんはひょんなことで私の実家にも遊びに来てくれた

くそいいおばちゃん。ほんと。病気で死ぬかもしれなかったから。連絡とれてない。ほんと仕事バリバリできてた。笑顔でお客さんからも評判良かった。わざわざ北海道に本州からきてた、私もそうだけど。ご飯食べに行ったり温泉入ったり。

手紙もくれるし相談もできるハイパースーパーなおばちゃんバスケットも昔はインターハイの人だった。こんなことってあるんかい。

 

 

沖縄もおもろかった

ホテルのフロントやってたら

イタリア人と仲良くなって

島まで招待してくれた

あの時泳いだのが忘れられない

すごくいい二人だった

イタリアに帰ったら仲間に私のことを紹介してくれた

すげーなイタリア人!と思った

嬉しかった

形見にくれたサングラスまだ持ってる

コロナで大変だろう。

いつかまた会える日まで

 

 

国頭でも変な出会いがあった笑

米軍とおぼしき人が落としたケータイを拾って充電がれて部屋で充電して

電話かかってくるのまって

かかってきたら出て

保養所の警備室からで

その警備の人となぜか仲良くなって

なんかハンバーガー奢ってもらったな、多分ナンパされてたのかな、あれは

よくわからないけど

しきりに前の彼女がどうたらこうたらとか

話してた、でも初対面に近いのに彼女の話ってどうなの笑

それからも、足の速いヤツ連れて行くから飲もうと連絡が来たりしたけど

本州に戻ったしそれ以来だ

 

いろんな出会いがあり、面白いわなぁ

 

やっぱジーマミー豆腐がうまいんだ。

 

 

岩手も面白い出会いがたくさんあったなぁ

いまでは夢のようだけど

移住者たちが寄り集まって、コミュニティ出来てたし

しかもただのコミュではない

ちゃんと相談とかできる信頼のおける仲間になってて地域の人たちと繋がれるようになってた

それはすごいことだとおもった

あるあるだけど移住者が表立って活動して地域の人がないがしろになると、全然面白くないし広がりがなくてつまらんというふうになるから、その土地にあったもっともな方法をその場所に行って考えて地域の人たちとやるっていうのが一番だ

主役は地域の人だそこに住んでる人たち

最初はやっぱり顔をつないで親しくなって

巻き込んでいくのが一番いい

 

 

こんな感じで生きてはきたけど

恋愛とかも全くダメで

おばあちゃんのお世話してるし

傷心してばっかりなので

なんか自分こんなんじゃないようなきがするーと思いつつもこれはこれで自分の決めている選択のひとつ、これは人生なのだと

言い聞かせている

 

ダメって思うのはその時、人生の多分一瞬くらい

 

まぁ辛いときは相当あったけど

毎日寝て起きての繰り返しだった時もあるし

眠れなくて睡眠薬飲んでたり

寝れてたのかよくわからんけど

レクサプロ飲んでたけど

良くなった気がしなかったし

まぁ、あの時の原因がなくなったから回復したのかなと思う

薬勝手にやめちゃったし

ほんとは絶対だめだけど

だめみたいだけど

実家に帰って原因がなくなったしストレス無くなって時間も経って

こういう感じでも生きられるのねという余裕もできたし

まぁうつ状態からの回復はできたかな、自律神経失調症

ストレスの原因取り除いたら回復できるのではと、カウンセラーの先生に言われたし

 

あやうく好意を持ちそうになった笑。

カウンセラーの先生。その病院は行かなくなったが。

まぁいろいろありますね、

もはや、好意を持つというのも億劫になって

好意を持ってはダメだとブレーキがかかる

失意のそこに落ちるとダメージでかいし

処理しきれなくなるから

もう面倒くさいしやめた

やめられるもんなのかわからないけど

結婚とか想像できないし無理だわ・・・

このまま一人でいた方が楽よね

でも子どもがいたら子どものためにがんばる!!!みたいなやつができそう

かといってシングルマザーというわけにも簡単にいかない

世の中は大変で人生は大変で生きるのは大変で

私がもし産める子どもたちよ、世の中に出てこなくて正解だで、と思うもの、、、

自分は助けられない

 

 

べてるの家の本買って読みたいなぁ読まねば

コミュニケーション障がいは早急に友だちつくろうとかそういうことだから(教えてもらったニュアンスが記憶があいまい)

 

壁を取り払わねば

 

おわり